勉強が無意味?「自分で」考えない勉強が無価値なのだ!

先日、中学生向けに高校入試の説明会を実施しました。

出席者は中学2年生が中心だったので、今年受験生というわけではないのですが、中学2年生の内申点(9教科の成績)から高校入試の選抜資料になるので、その仕組みは知っておきたいというご要望があり、開催することとなりました。

いやー、本当に熱心な方々ばかりで、たいへん素晴らしいですね。

もちろん、受験が差し迫っているわけではないので、具体的な話にはなりにくかったのですが、その代わり、今後どのように学習を進めて行けば良いのかという、実は、最も大事なテーマについて多くの時間を割くことができました。

ご参加くださった保護者のみなさまも、熱心にメモを取り、質問をしてくださり、たいへん有意義な時間となりました。

時代や社会が変わっても変わらず大切な学習とは・・・

まだ「テストのための学習」しているのですか?

僕が、会の後半、特に力を入れてお話したのは、この「自習力養成講座」でも中心のテーマ。くり返しお話してきていることについて。

これから5年、10年先には、社会は大きく変わり、学習のあり方も大きく変わるでしょう。

というよりも、本当はもうとっくに変わっていなければおかしいのです。

インターネットやAI、さらに近年ではスマホの普及によって、世の中や人々のライフスタイルは大きく変わりました。いわゆる情報化社会、国際化社会というやつです。

教育界でも、もちろんそうした時代の変化に対応すべく、学習指導要領を改訂し、教育課程の見直しを図ってきています。

しかし、どうでしょうか。

現在、中高生の保護者の方であれば、お子様の勉強内容とご自身が学生の時の勉強内容に大きなちがいが感じられるでしょうか。

もちろん、学年配当の単元が変わっていたり、以前はそれほど重視されていなかったようなものが大きく取り上げられたり、そうした変化はあるでしょう。

ただ、相変わらず教科があり、教科書があり、テストがあり、そうした枠組みの中での勉強という点では次元を異にするような違いはないはずです。

それもこれも、テスト、特に入試というものが、日本の学校制度の根幹に、強力な装置として君臨しているからだと僕は考えています。

日々の勉強でいろんなことをやっていたとしても、一番意識が高まる、テストや入試の場では、そうした様々な活動の力をふり返るよりは、教科書的、参考書的な従来のテスト的学力が重視されてしまいます。そうなれば、結局は普段の様々な活動よりも、「テストで点を取るための学習」が優先されてしまうのは、ある意味当たり前の現象です。

 もはや「テストのための学習」に未来はない!

でも、すでに「テスト的学力」ではないものに価値を見いだす社会になってきています。

これまで重視されてきた「テスト的学力」とは、いわば「情報の記憶量」と「情報処理の速さ」です。これらは、コンピューターが最も得意とするところで、もはやこれらの能力で人間はAIなどの機械には勝てない状態にまでなっています。

それでも、なお、そうした力を図るようなテストがずっと実施されてきたのです。

もう完全に時代にはマッチしていないような、20~30年も前のモデルを何とかマイナーチェンジをくり返して使ってきているという感じです。

もちろん、それらの学習がまったく無意味だというわけではありません。

最近教育界で重視されている「思考力」「判断力」「表現力」という力を発揮するためには、前提となる情報・知識は必要です。こうした力が重要だ、と言われると、多くの人は、

「何だか難しそう」

「応用ってこと!?」

「何か特別なことしなければいけないのかな」

と思ってしまうかもしれませんが、そうした一見高いレベルの能力を開発する場合でされ、やはり、最初の一歩は様々な知識を習得することです。それがなければ、考えるも何もないわけです。

ただし、向き合い方が重要です。

考え方といってもいいかもしれません。

学習に対する考え方・向きい合い方

何のために学習をするのか。

学習をしていった先に何を見出するのか。

目的や目標。

何か行動をする場合、これらを考えるのはある意味で当たり前のことですが、こと勉強とおなると、何となく学校があり、テストがあり、入試があるから、何となく勉強しているという人が非常に多いのです。それなりに成績がある人も、です。

だからこそ、なかなか成果が出ないし、たとえ、先生や塾に無理矢理やらされて、それなりの成果が出ても、自分で自分のことを考えるという当たり前のことができていなければ、大学に行って、社会に出て、本当に自分の頭と体で勝負しなければならない場面でたいへんな苦労をするのです。

ニートや大卒社会人の離職率などの統計データはそうした現状を表わしているのではないでしょうか。

 「○○大学卒業」ってだけで仕事がもらえる時代ではない!

さらに、現在から近未来では、これまでの仕事のあり方、働き方について、大きな変革があることも予測されています。

有名なところでいえば、オックスフォード大学のマイケル・オズボーン氏の研究(「雇用の未来」)です。日本では、オズボーン氏と野村総研が共同で分析をしていますが、およそ半数の仕事が機械に入れ替え可能という研究結果が出されています。

これはおそるべき事態です。

これまでの教育を含めたライフスタイルのモデルでは、良い学校へ行き、良い会社に就職するという「サラリーマン型」が主流でした。が、その多くの仕事がなくなる可能性があるというのです。

それでも、これまでのモデルを継承して、「(偏差値が)良い学校に行けば将来安泰だ」という考えを持ち続けるのでしょうか。

僕は、良い学校への入学を目指すことを否定するつもりは毛頭ありません。

テストで点を取り、成績を上げ、より良い学校への進学チャンスを広げるのは、むしろ善であるとすら思っています。

しかし、多くの人は、その先がないのです。

良い学校に入って、何をするのか、何のために良い学校に入るのか、そこに自分の考えが、たとえ間違っていたり、視野が狭かったりしたとしても、その時の自分や家庭での考えが何もなく、ただ「良い学校に入れば何とかしてもらえる」という受け身なスタンスでいる。

そのことに、強い疑問を持っているだけなのです。

だって、自分の人生なのに、自分の考えを持たないなんて、たとえ稚拙だったとしても、自分で考えようとしないなんて、僕にはそれがよいことには思えないからです。

そういう方に限って、後々なにか重大な問題に直面した時に、

「あの時こうしておけば・・・」

「○○がいけないんだ!」

と時代や社会のせい、誰かや何かのせいにしてしまうのです。

もちろん、自分個人の力ではどうすることもできない場合もあります。入試や就職など、人生の方向性をある程度決定づけてしまうような場面では、決められたルールに従わざるを得ないこともしばしばあります。

そうだとしても、自分でどうするのか、どうしたいのかを考えながら、制度を利用していくのか、何の考えもなしに、巻き込まれるように制度に乗っかるだけなのか、では、その先が雲泥の差になります。これはもう火を見るよりも明らかなことでしょう。

最終的には、何をどうするのか、あなたの価値観で選択するしかありません。

人のせいにしても、環境のせいにしても、何もはじまりません。

「だったら、どうすればいいのか」

「だったら、どうすれば良い未来を切り開けるのか」

自分で考え、自分で決断し、自分で行動しなければなりません。

勉強が無意味?「自分で」考えない勉強が無価値なのだ!

どんなに時代が変わろうと、たとえテストや入試が変わり、学校の勉強の質そのものが変わっていったとしても、この「自分で」という部分が大事だということは、何も変わらないはずです。

理由はとてもシンプルです。

だって、自分の人生だから

以前から、受験学力は批判的に見られ、「つめこみは良くない」「知識ばかりあってもしかたない」などと言われてきました。だからなのか、テストや入試に対して批判的な意見を述べていると、

「先生もそういうお考えなんですね」

と言われることがあります。

いいえ、全然ちがいます!

僕は「つめこみ」大賛成です。

子どものうちに色んな体験、いろんな知識をつめこまずして、何をしていくのでしょうか。

何かを感じたり、考えたり、伝えたりするのに、情報、特に言葉は非常に重要なツールです。

それをどんどんつめこまずして、何が勉強なのか、とさえ思っています。

たんに、知識があればいい、テストで良い点が取れれば良いというスタンスはもちろん論外です。

それと同じ理由で、そんな大人になったら使わないような知識を覚えなくたっていい、というつもりもありません。

学習は、世の中を知り、自分を知り、自分を磨く・レベルアップさせるためにやることだと僕は思っています。学校の勉強だけでなく、生まれてから死ぬまで、生活のあらゆる場面で学習をしながら人は生きています。その意味で、学習とは生きることと言いかえても良いとすら思っています。

さらにいえば、自分のレベルアップを進めるために、学校の、教科毎の勉強は、効率的・効果的な手段だとも思っています。

学校の勉強は、とてもめんどうくさいことだらけで、非常に長い間、同じような作業を強いられます。でも、だから、自分のネガティブな部分にたくさん出会うことができます。当然、ポジティブな自分も発見できて、自信をつけていくこともできます。しかも、身につけた知識や技術は、そのまま何か実用的なことに活かすこともできます。

こんなに様々な自分を発見でき、成長を加速させられる機会、そうそうないと思うのですが、多くの人には、そうは思われていないようです。

そうは思えない多くの人の特徴は、やはり、「自分で」考えることができていないからだと思います。一見無意味と感じられるようなことでも、それを価値あるものとするのか、ただやり過ごすのか、究極、「自分」次第なのです。

みんなが「こんなのオトナになったら使わないんだから、やらなくたっていいじゃん」って言ったとしても、それを自分はやると決めれば、自分にとってその行動はプラスになるのです。その分、自分を磨くことができます。

ただ、それだけです。

勉強を「やらなければいけない」「やれと言われたからやるもの」と捉えているうちは、そういう人には、いっこうに分からないことかもしれませんが、そういう風に勉強に向き合えた瞬間、すべてが一気に変化していきます。

テストの点も、成績も、当然、発言や行動も大きく変わります。

その他多くの人よりも、一段も二段も上の視点から目の前のことを捉えることができるようになったのですから。

だから、僕は「テストの点をあげたい」「成績をあげたい」のであれば、一見遠回りのようにみえるかもしれないけど、「何のために・どうやって勉強をするのか」「テストの点を上げてどうするのか」ということをきちんと考えてほしいのです。

塾に行けば、家庭教師を頼めばどうにかなる、と考えているうちは、たとえ短期的にテストの点があがったとしても、その先に明るい未来はないかもしれません。

僕は、そんなことを伝えたいと思って、「自分で」考えて進めていくことにこそ価値があるということを言い続けるために、今もまだ講師を続けています。


新年度・新学期が始まり、1週間程度が過ぎました。

まだまだ新生活になれていなかったり、新生活開始で気持ちが高まっていたりする時かもしれません。

そんなときこそ、自分を保ち、たんたんと、コツコツと、当たり前のことが当たり前に行動できるよう意識しておきましょう。

気持ちが上がり過ぎると、反動でその分大きく下がるのが人間の自然な姿です。

上げ過ぎず、下げ過ぎず、大事なことを淡々と。

ちなみに、これは「5月病」にならないためのポイントでもあります。

「5月病」にかかってしまう人の多くは、4月の新生活の段階で、気持ちを盛り上げすぎる人です。気持ちを上げて新生活をスタートするのは良いのですが、上げ過ぎると反動がある、ということは覚えておきましょう。

人間、そうそう高い意識で行動し続けることはできないのですから、盛り上がり過ぎると、かえって「三日坊主」となってしまいます。

しっかり息抜き、休憩をして、たんたんと行動をし続けることが一番大事。


この記事の内容に関連して、参考となる資料です。

ご興味・ご関心のある方はぜひご覧ください。

わかりやすくまとめられています。

【参考記事】10年後に「食っていける子」の親の共通点5

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